2009年11月9日月曜日

オランダ出版史 1725-1830

以下、Koninklijke Biblioteek ed., bibliopolis: History of the Printed Book in the Netherlands, 2003による。オンライン版は、http://www.bibliopolis.nlを参照のこと。

基本的には斜陽期(lean years)。

この時期は、周辺国での出版に対する態度が寛容になったために海外からの需要が減った。フランス革命とナポレオンによる占領の影響を受け(1795年オランダ共和制崩壊)、技術革新のための余裕がないままに、産業革命に乗り遅れた。手漉き紙の品質では知られていたオランダだが、フランス、イギリスで紙の生産の機械化が始まると、紙の輸出量は激減。 ちなみに、オランダの出版業について残っているデータは少ない。というのも、共和国オランダでは強力な中央政府がなかったために検閲目的の記録の作成が行われなかったため。18世紀に関しては、ギルド及び地方政府の徴税のための記録、19世紀についてはフランス占領下のサーベイ(1810-1812)や特許に関する記録が頼り。

1.形状・レイアウトの変化
イギリスのBaskerville、フランスの Didot、イタリアのBodoniらによる新古典主義デザインの影響もあり、18世紀後半には、より余白の少ない、ぎゅうぎゅう字が詰まったようなレイアウトへ変化。装飾も激減。Lord Stanhopeにより、鉄製の印刷機が発明されると、より大きな紙への印刷が可能になり、標準的な本の形が、quartoからoctavoに変わった。

挿絵は18世紀は銅版画が主流、19世紀に入るとアクアチント、リトグラフなども用いられる。並行して木版画も。バロック調の華々しいものからロココ調のエレガントで優しげなものに。オランダ独特のリアリズム(写実主義)が挿絵にも見られる。

実用目的の本の製本は、ヴェラムと革紐によるものから牛革のものへ、また本の背と、背と表紙の接着部分のみを革装とし、表紙は厚紙で済ますものも出てくる。一方で、18世紀は豪華な装丁も好んで行われた。各主要都市がそれぞれのスタイルを展開し、特にアムステルダム版は大仰な装飾で知られ、突飛な組み合わせの材料や技術が用いられることもあった。巻末その他へのマーブル紙の使用が広まった。1800年頃を境に、本の背と本の本体との間に隙間ができる製本方法へ。(raised band, where the covering material was no longer glued directly on to the spine but to a pieceof cardboard, allowing the hollow back to come loose when the bookwas opened.)
この時期はまだ、本の持ち主が製本を依頼するのが通常だが、18世紀半ばには、publisher's bindingが登場。

2.生産過程の変化
ギルドの解散(1798年のconstitutionによる)。代わりにVereeniging ter Bevordering van de Belengen des Boekhandles (Association for the Promotion of the Interests of the Book Trade) が組織される(現在まで続く)。1821年に、'copyright' (19世紀初めには、主に出版者の権利として)のオークションを年1回までに制限する最初の規制を実施。(p.124b, 128-129)

出版業(Publisher)と印刷業(Printer)の分離。出版のための資本は、Publisher/Printer 自身による出資のほか、製紙業者から利息なし分割返済の条件で借り入れることができたが、次第に一括返済へ移行。出版業者はいくつか寄り集まって 'company' を結成し、より大規模な資本投資を可能にするとともに、海賊行為のリスクの低減を狙った。'publishing' が現代的な「出版」の意味を持ち始める。海賊行為への対策としてのsystem of priviledges からCopyright Act (25 January, 1817)による保護へ。(p.124a, 130-131)

学術書の初刷は250-500、一般書は750-1250、特に人気のタイトルは3000程度。雑誌の場合、採算を合わせるためには最低500。17世紀には本の値段のほとんどは紙のコストに由来するものだったが、次第に挿絵や著作料、翻訳等のコストが加わるようになる。 (p.133-134a)

「著者(author) vs 出版者(Publisher)」:1817年にオランダ著作権法制定。著者の権利が明文化される。 それまではライデン大学の教授陣等の一部の例外を除き、著者の権利は十分に保障されていなかった。

海外市場の縮小のため、オランダ語による国内向け出版に特化した出版社、新聞社が成長。 (18世紀にはラテン語に代わり、多くの学術・文芸書がフランス語で出版されるようになる。18世紀前半にはオランダで、ヴォルテール、ディドロ、ルソーらの著作が出版されたが、18世紀後半になると、フランスでも出版統制が緩和されたため、オランダで出版する必要がなくなった。18世紀半ばには、ラテン語による出版物は一部の学術書・古典等に限られるようになる。)1790-1800年に出版されたオランダの本の90%はオランダ語によるもの。

3.流通の変化

書籍流通の変化は大きかった。その理由は、長らく読書人口の増加のためと考えられてきたが、最近では、それに加え、書籍市場の低迷が販路開拓を促進したためとも考えられるようになった。

前時代の書籍の取引は主に物々交換によるものだったが、18世紀の第2四半期にはcommission tradingが成立。

書店の副業として貸本屋が登場(commercial reading and circulating library)。

古書市場が独立。

在庫処分のためのバーゲン。公開オークション(publich auction)の登場。

啓蒙主義の影響で、周辺国で検閲(censorship)が弱まるにもかかわらず、オランダは逆に強化される方向へ。法制自体には変化なし、ただし、より厳格に施行されるようになる。

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