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2017年8月28日月曜日

調査リポート:The Value of Europeana (2013)

Europeanaは、2008年に、EU内の図書館、文書館、博物館、ギャラリーが所有するデジタルコンテンツのサービスプラットフォームとして構築された。

2013年にEUのデジタルサービス基盤向けの予算が大幅削減された時、Europeana事業の継続も危ぶまれた。(参考:https://jipsti.jst.go.jp/johokanri/sti_updates/?id=6067)2008年から2014年を対象とした初期の助成が終了するにあたり、2015年以降の資金獲得のために
外部調査機関がEuropeana事務局の委託を受けて作成したリポートがある。少し古いが、同様のサービスを日本でやるとした場合に、計画と評価に関して得るところがあるかもしれないので、ざっくり紹介。

SEO Economic Research. The Value of Europeana (2013).
http://pro.europeana.eu/files/Europeana_Professional/Publications/Europeana%20Strategy%202020-%20Value%20assessment%20SEO.pdf


まず、この調査リポートの調査課題は、下記の通り。

2015年から2020年にかけてEuropeanaのサービスとインフラを維持・拡大するために継続的な投資をすることの社会経済的価値は何か。

コストは当時策定中のEuropeana Strategic Business Plan 2015-2020に基づき、201511日時点での純現在価値(NPV)を5370万ユーロとして計算したそう。

●経済効果
リポートでは、以下5つのユーザグループについて、記載する算出方法に基づき経済効果を分析。

  1. Europeanaで提供されるサービスやインフラはオープンソースであり、これらを利用しているGLAM(ギャラリー、図書館、文書館、博物館)は数百に上る。これらのツールは各機関における一般ユーザ、研究ユーザとのコミュニケーション改善をもたらすと同時に、サービスやインフラの開発コストを削減した。経済効果の算出方法: デジタル化と情報通信システムに関する支出の推定削減値(%)
  2. 一般市民もまた恩恵を受けている。ヨーロッパ内外のアートや文化、文化遺産に関心のある市民がEuropeanaのウェブサイトを訪れ、電子展示会やテーマごとのアクセスポイント(例: Europeana 1914-1918, Europeana 1989)を訪れている。また、ソーシャルメディアでEuropeanaをフォローしたり、Europeanaのアプリをダウンロードしたり、イベントに参加したりしている。経済効果の算出方法:Europeanaウェブサイト、電子展示会、ソーシャルメディアの閲覧時間、Europeanaのオフライン展示会やイベントの滞在時間、各機関のオフライン、オンラインの訪問者増加率(%)
  3. 第三に利益があるのは観光客である。Europeanaが提供するデータベースを用いて作成されたウェブサイト、アプリ、ガイドブックを使っているかもしれない。アートや文化資源に関する情報が入手しやすくなることは、ヨーロッパの魅力向上に役立ち、特に従来あまり知られてこなかった地域や文化遺産の魅力を伝え、集客を図ることができる。経済効果の算出方法:滞在日数または滞在中の支出の推定増加率
  4. 第四のグループは、いわゆる「クリエイティブ・インダストリー」と言われるセクターである。例えば、アートやカルチャー、文化遺産や旅情報に関する本を制作する出版社、歴史的な情報を求めているジャーナリスト、リサーチを行うアーティストやデザイナー、またメタデータを用いるゲームやアプリの開発者などは機械可読性の高いメタデータサービスや、パートナー機関からの一次情報入手により利益を得る。経済効果の算出方法:トップ・ダウン・ビジネスケース
  5. 最後のグループは教育機関と研究者である。デジタルコンテンツへのアクセス向上は教材とeラーニングツール作成のためのコスト削減及び品質向上、ひいては教育の質向上に役立つかもしれない。経済効果の算出方法:教育と研究におけるコスト削減、教育と研究におけるアウトプットの向上

このうち、1と3は、金銭的な定量化がしやすく、2は金銭的ではないものの定量化が容易。4と5は、少なくとも調査時点では根拠となる数値が得難く、定量化しにくいものでした。

後半では、いわゆる「市場の失敗」が存在する、芸術、文化、遺産の領域で、Europeanaのような存在が必要な理由(政府の介入が必要な理由)が大きく6点述べられる。

  • Europeanaは取引コスト(文化遺産や文化情報の発見コスト、また潜在的には第三者に対するライセンシング・コスト)を削減する。これは、クリエイティブ・インダストリーやアプリ開発者、文化遺産についての情報を探す消費者や研究者に波及効果がある。利益が発生しても、個々の利益に対しては相対的に高くつく可能性のある取引コストに鑑みた場合に、ユーザや受益者にかならずしも課金することができず、民間企業の意思決定においては必ずしも適切解が得られない。
  • Europeanaがもたらす標準化なしには、次善の策というロックインにはまり、さまざまな機関が提供するデータベースが分断され、開発コストは嵩み、相乗効果は失われる(loss of synergy)。特に、デジタル化における規模の経済を利用できない小規模館は、標準化と、様々なコレクションのメタデータを統合することを目的推したアプリやウェブサイトとから恩恵を受ける。
  • Europeanaは、民間企業がこの分野を率いた場合に、規模の経済を背景とした「市場支配力」によって生じるかもしれない歪みを緩和することができる。
  • Europeanaは、(取引コストの削減による)付加的な使用許諾(lisencing)の仕組み著作権者に対してもプラスの外部効果をもたらす。
  • 各機関は、いったんデジタル化した情報資源については、利用促進と維持のため、ひいてはデジタル化が経済や福利においてインパクトをもたらすための投資を十分に行わない傾向がある。Europeanaは情報資源の所有にかかる費用を削減することで、このような過少投資を緩和する。
  • EU外の国々との関係でみた場合、いち早く、調整の枠組みを提供し、デジタル基盤についての標準を設定することによって、初動者の利益を得ることができる、他国はEuropeanaの標準に合わせることになる。EU外で標準が設定され、それに合わせる場合よりコストが抑えられる。
以上。

2010年7月17日土曜日

オランダの博物館のコレクション史(図書紹介)

現在のオランダのいくつかの国立博物館に分散するコレクションの歴史について、最近(すごく)面白い本を読みました。

Rudolf Effert, Royal Cabinets and Auxiliary Branches: Origins of the National Museum of Ethnography (English translation, 2008)

オランダで博物館を訪ねる予定のある方は、訪問前に是非ご一読ください。

現在オランダには女王様がいるので、昔から王政がしかれていたかのように思われがちですが、「王国」になったのはナポレオン統治後、19世紀に入ってからです。ハーグの「王立」図書館とアムステルダムの「王立」博物館は、ナポレオンの弟で一時期フランスによって建てられたオランダ王国の王様だったルイ・ボナパルトによって設置されました。

その後、オランダが独立を回復して、かつての総督の血筋であるオラニエ=ナッサウ公ウィレムが亡命先のイギリスから帰国した際に、「王様」になりました。この王様が学術振興に興味を示し、英仏のようなRoyal Cabinets(国内外の美術品や書物、珍しい品々、産品を集めた王様のお宝コレクション)の構築を始めました。

出島の重役にあったブロムホフやフィッシャーが集めた日本の産品や書物は、このRoyal Cabinetsの初期の重要なコレクションになります。人々に公開されたRoyal Cabinetsのコレクションは反響を呼び、乗りのよいオランダ人ですから、市立、私立、なんちゃって国立、、、と制度の整わないうちから博物館が乱立し、各地の商館を拠点に展示品の収集が活発に行われるようになりました。その後、シーボルトが持ち帰った日本の産品も国に買い上げられます。

…が、オランダはなんといっても小さい国、イギリスやフランスに比べると何よりも土地が、そして国の財力、人材も限られています。ベルギーの分離独立後はとりわけ財政的には苦しく、各地の博物館は一方では適切な施設・設備が得られず、一方ではコレクション構築を寄贈、物々交換に頼り、はたまた一方では一人が複数の館長職を兼ねるという悲惨な経営状況に陥ります。

さらに、時代は百科事典的ななんでもありの博物館から、「美術館」「歴史博物館」「産業博物館」「民族学博物館」のように個別化していく方向へ。劣悪な保存環境をかろうじて生き延び、物々交換の対象からも免れた品々をめぐって、各館長間の争奪戦が繰り広げられます。この館長たちがまた個性派揃い。シーボルトのように自分の研究と政治的なことにしか興味がなく、コレクションの管理はまったくできず、むしろ資料の亡失と損傷に貢献した人もいれば、適切な保管環境を確保するための所蔵品の分散配置の準備が面倒で、延ばしに延ばした挙句に他の人に押し付け、最後になって決まった分配に文句をつけて漆器や出島商館模型などの目を引くコレクションだけ自分のものにした館長もあり、そんな困ったチャンに翻弄されながら地道にできる限りのことをした少数の善良な館長がおり…涙と憤りなしでは読めません。

このような状況から、オランダに渡った日本の産品は、オランダ到着後、最終的にその大部分がライデンの民族学博物館に落ち着くまでの67年間、数奇な運命を辿ります。1860年に将軍から送られたたくさんの屏風は、欧州各国の博物館に物々交換されていきました。オランダ国内に残るコレクションについて、いったい何が誰によってもたらされたのか、ということの解明はいまだに続いているそうです。

オランダ語からの英訳なので、やや文意がつかみかねる部分もありますが、近頃読んだ本の中では抜群に面白かったです。当時の関係者の書簡資料も数多く引用されています。

2009年11月11日水曜日

デルフト公共図書館(+生意気言)

書架を取り去り、デジタルへ移行した図書館が話題になってます。⇒http://current.ndl.go.jp/node/15243

同じようなことはドイツやオランダでも起きていて、今週のHistory of Booksの授業で話題になりました。J.Riversの予言どおりにことが運ぶのか。

「書架のない図書館」には賛否両論あると思いますが、「ちょっとラグジュアリーで居心地のいい図書館」というのは大陸ヨーロッパではごく自然に目指されていることだと思います。

アメリカの様子が分からないのですが、以下の記事を読む限り、ちょっと違いそうです。
Visiting the Most Modern Library in the World, the Shifted Librarian (19/03/2008)

ここで紹介されているデルフト公共図書館は、こんなことをやっています。
Discover Innovations at DOK, Holland’s 'Library Concept Center'

ちなみに、'Library' というものについての基本的な考え方が、英米と大陸ヨーロッパではちょっと違う気がします。うまく言えないのですが、前者はDemocracyに根ざしているけれど、後者はHumanismに根ざしている。もちろん相対的なもので、お互いに影響し合って現在の姿があるのだとは思いますが。
もっと表面的なところでは、前者は開架式の伝統だけど、後者は閉架式の伝統だ、という違いもあったりします。

DemocracyでもHumanismでも何でもいいのですが、何かその社会に内在する価値をバックボーンに据えることで大きな動きが作りやすくなるということはあると思います。

「デジタル化」という流れは、ヨーロッパにいても日本にいても、技術の寄せ集めの中で進んでいくことに変わりはないのだと思いますが、ここにいると、どうしても「日本のバックボーンは・・・」というようなことを考えてしまいます。日本という単位で考えてしまうところがまた、私自身もアナクロニズムにはまってしまっているのですが。EUは、思った以上に偉大です。

KB(オランダ国立図書館)の連携プロジェクト

本日KB(オランダ国立図書館)のR&D担当の方から講義を受けました。

KBが関わっている国際的な連携プロジェクト(主にEUの枠)は、有名どころのEuropeanaをはじめ、いろいろ。

1.Mass digitizationに関わるもの
IMPACT

2.Digital Preservationに関わるもの
Planets(FP6の枠では2010年5月終了予定。その後British Libraryを拠点として成果は継続的に共有、改善される。)
KEEP (Emulation技術に係るプロジェクト)
PARSE.insight (研究データの保存に関する短期プロジェクト)

3.その他
DRIVER、Alliance for Permanent Access、Europeana など

なかでも、今日は特にIMPACTについて。
これは、図書館等のコンテンツホルダーによるデジタル化をスピードアップすることを目的としたプロジェクトだそうです。

どうやって?
  1. OCRの技術革新に対する企業のモチベーションを高めるために、複数機関が協力してデジタル化対象資料の'critical mass' を作る。
  2. デジタル化のノウハウを共有する。
スコープは?
  1. 1900年刊行以前の印刷本(Printed books)
  2. フルテキスト検索可能なデジタル化
技術上の課題は?
  1. マニュスクリプトの古い書体やレイアウトを引き継いでいる初期印刷本に対応可能なOCR技術の開発
  2. 古いスペリングに対応した辞書の整備
戦略上の課題は?
  1. パートナーの拡大。現在のところ、
  • 欧州各国の図書館
  • 言語の専門家(現在のところ英語、オランダ語、ドイツ語をカバー。フランス語、スペイン語、ポーランドの専門家を探し中)
  • IBM
  • ABBYY (ロシアのOCR会社) ※EU圏外のパートナーについては、EUが出資した分を、当該パートナーが所属する国がEUに払い戻す仕組み)
'Broader EU(チェコ、スロヴェニア、クロアチア、ブルガリアなど)' にもパートナーを広げたい。
とりあえず、以上。

2009年11月9日月曜日

オランダ出版史 1725-1830

以下、Koninklijke Biblioteek ed., bibliopolis: History of the Printed Book in the Netherlands, 2003による。オンライン版は、http://www.bibliopolis.nlを参照のこと。

基本的には斜陽期(lean years)。

この時期は、周辺国での出版に対する態度が寛容になったために海外からの需要が減った。フランス革命とナポレオンによる占領の影響を受け(1795年オランダ共和制崩壊)、技術革新のための余裕がないままに、産業革命に乗り遅れた。手漉き紙の品質では知られていたオランダだが、フランス、イギリスで紙の生産の機械化が始まると、紙の輸出量は激減。 ちなみに、オランダの出版業について残っているデータは少ない。というのも、共和国オランダでは強力な中央政府がなかったために検閲目的の記録の作成が行われなかったため。18世紀に関しては、ギルド及び地方政府の徴税のための記録、19世紀についてはフランス占領下のサーベイ(1810-1812)や特許に関する記録が頼り。

1.形状・レイアウトの変化
イギリスのBaskerville、フランスの Didot、イタリアのBodoniらによる新古典主義デザインの影響もあり、18世紀後半には、より余白の少ない、ぎゅうぎゅう字が詰まったようなレイアウトへ変化。装飾も激減。Lord Stanhopeにより、鉄製の印刷機が発明されると、より大きな紙への印刷が可能になり、標準的な本の形が、quartoからoctavoに変わった。

挿絵は18世紀は銅版画が主流、19世紀に入るとアクアチント、リトグラフなども用いられる。並行して木版画も。バロック調の華々しいものからロココ調のエレガントで優しげなものに。オランダ独特のリアリズム(写実主義)が挿絵にも見られる。

実用目的の本の製本は、ヴェラムと革紐によるものから牛革のものへ、また本の背と、背と表紙の接着部分のみを革装とし、表紙は厚紙で済ますものも出てくる。一方で、18世紀は豪華な装丁も好んで行われた。各主要都市がそれぞれのスタイルを展開し、特にアムステルダム版は大仰な装飾で知られ、突飛な組み合わせの材料や技術が用いられることもあった。巻末その他へのマーブル紙の使用が広まった。1800年頃を境に、本の背と本の本体との間に隙間ができる製本方法へ。(raised band, where the covering material was no longer glued directly on to the spine but to a pieceof cardboard, allowing the hollow back to come loose when the bookwas opened.)
この時期はまだ、本の持ち主が製本を依頼するのが通常だが、18世紀半ばには、publisher's bindingが登場。

2.生産過程の変化
ギルドの解散(1798年のconstitutionによる)。代わりにVereeniging ter Bevordering van de Belengen des Boekhandles (Association for the Promotion of the Interests of the Book Trade) が組織される(現在まで続く)。1821年に、'copyright' (19世紀初めには、主に出版者の権利として)のオークションを年1回までに制限する最初の規制を実施。(p.124b, 128-129)

出版業(Publisher)と印刷業(Printer)の分離。出版のための資本は、Publisher/Printer 自身による出資のほか、製紙業者から利息なし分割返済の条件で借り入れることができたが、次第に一括返済へ移行。出版業者はいくつか寄り集まって 'company' を結成し、より大規模な資本投資を可能にするとともに、海賊行為のリスクの低減を狙った。'publishing' が現代的な「出版」の意味を持ち始める。海賊行為への対策としてのsystem of priviledges からCopyright Act (25 January, 1817)による保護へ。(p.124a, 130-131)

学術書の初刷は250-500、一般書は750-1250、特に人気のタイトルは3000程度。雑誌の場合、採算を合わせるためには最低500。17世紀には本の値段のほとんどは紙のコストに由来するものだったが、次第に挿絵や著作料、翻訳等のコストが加わるようになる。 (p.133-134a)

「著者(author) vs 出版者(Publisher)」:1817年にオランダ著作権法制定。著者の権利が明文化される。 それまではライデン大学の教授陣等の一部の例外を除き、著者の権利は十分に保障されていなかった。

海外市場の縮小のため、オランダ語による国内向け出版に特化した出版社、新聞社が成長。 (18世紀にはラテン語に代わり、多くの学術・文芸書がフランス語で出版されるようになる。18世紀前半にはオランダで、ヴォルテール、ディドロ、ルソーらの著作が出版されたが、18世紀後半になると、フランスでも出版統制が緩和されたため、オランダで出版する必要がなくなった。18世紀半ばには、ラテン語による出版物は一部の学術書・古典等に限られるようになる。)1790-1800年に出版されたオランダの本の90%はオランダ語によるもの。

3.流通の変化

書籍流通の変化は大きかった。その理由は、長らく読書人口の増加のためと考えられてきたが、最近では、それに加え、書籍市場の低迷が販路開拓を促進したためとも考えられるようになった。

前時代の書籍の取引は主に物々交換によるものだったが、18世紀の第2四半期にはcommission tradingが成立。

書店の副業として貸本屋が登場(commercial reading and circulating library)。

古書市場が独立。

在庫処分のためのバーゲン。公開オークション(publich auction)の登場。

啓蒙主義の影響で、周辺国で検閲(censorship)が弱まるにもかかわらず、オランダは逆に強化される方向へ。法制自体には変化なし、ただし、より厳格に施行されるようになる。

2009年10月26日月曜日

DEN: Digital Heritage Netherlands

Europeana など、美術館、図書館、文書館等の連携(MLA連携)が進むヨーロッパですが、連携を広げていくためには、国内、EU内における技術標準(デジタル化品質、メタデータスキーマ等)の共有が不可欠です。

オランダにおいては、技術標準についての調査及び提言、機関間調整は、
Digitaal Erfgoed Nederland (DEN) (英語名: Digital Heritage Netherlands)が行っています。
Europeanaとの関係においても、技術面においてはDENがオランダを代表しているようです。

【2017年8月26日追記】Europeanaのパートナー機関として、参加国・機関全体に及ぶ標準化や調査報告の作成も行なっています。ENUMERATEプロジェクトの推進役の一つでもあります。