2010年7月17日土曜日

オランダの博物館のコレクション史(図書紹介)

現在のオランダのいくつかの国立博物館に分散するコレクションの歴史について、最近(すごく)面白い本を読みました。

Rudolf Effert, Royal Cabinets and Auxiliary Branches: Origins of the National Museum of Ethnography (English translation, 2008)

オランダで博物館を訪ねる予定のある方は、訪問前に是非ご一読ください。

現在オランダには女王様がいるので、昔から王政がしかれていたかのように思われがちですが、「王国」になったのはナポレオン統治後、19世紀に入ってからです。ハーグの「王立」図書館とアムステルダムの「王立」博物館は、ナポレオンの弟で一時期フランスによって建てられたオランダ王国の王様だったルイ・ボナパルトによって設置されました。

その後、オランダが独立を回復して、かつての総督の血筋であるオラニエ=ナッサウ公ウィレムが亡命先のイギリスから帰国した際に、「王様」になりました。この王様が学術振興に興味を示し、英仏のようなRoyal Cabinets(国内外の美術品や書物、珍しい品々、産品を集めた王様のお宝コレクション)の構築を始めました。

出島の重役にあったブロムホフやフィッシャーが集めた日本の産品や書物は、このRoyal Cabinetsの初期の重要なコレクションになります。人々に公開されたRoyal Cabinetsのコレクションは反響を呼び、乗りのよいオランダ人ですから、市立、私立、なんちゃって国立、、、と制度の整わないうちから博物館が乱立し、各地の商館を拠点に展示品の収集が活発に行われるようになりました。その後、シーボルトが持ち帰った日本の産品も国に買い上げられます。

…が、オランダはなんといっても小さい国、イギリスやフランスに比べると何よりも土地が、そして国の財力、人材も限られています。ベルギーの分離独立後はとりわけ財政的には苦しく、各地の博物館は一方では適切な施設・設備が得られず、一方ではコレクション構築を寄贈、物々交換に頼り、はたまた一方では一人が複数の館長職を兼ねるという悲惨な経営状況に陥ります。

さらに、時代は百科事典的ななんでもありの博物館から、「美術館」「歴史博物館」「産業博物館」「民族学博物館」のように個別化していく方向へ。劣悪な保存環境をかろうじて生き延び、物々交換の対象からも免れた品々をめぐって、各館長間の争奪戦が繰り広げられます。この館長たちがまた個性派揃い。シーボルトのように自分の研究と政治的なことにしか興味がなく、コレクションの管理はまったくできず、むしろ資料の亡失と損傷に貢献した人もいれば、適切な保管環境を確保するための所蔵品の分散配置の準備が面倒で、延ばしに延ばした挙句に他の人に押し付け、最後になって決まった分配に文句をつけて漆器や出島商館模型などの目を引くコレクションだけ自分のものにした館長もあり、そんな困ったチャンに翻弄されながら地道にできる限りのことをした少数の善良な館長がおり…涙と憤りなしでは読めません。

このような状況から、オランダに渡った日本の産品は、オランダ到着後、最終的にその大部分がライデンの民族学博物館に落ち着くまでの67年間、数奇な運命を辿ります。1860年に将軍から送られたたくさんの屏風は、欧州各国の博物館に物々交換されていきました。オランダ国内に残るコレクションについて、いったい何が誰によってもたらされたのか、ということの解明はいまだに続いているそうです。

オランダ語からの英訳なので、やや文意がつかみかねる部分もありますが、近頃読んだ本の中では抜群に面白かったです。当時の関係者の書簡資料も数多く引用されています。

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